Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
信州つれづれ紀行 / 時空の旅
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高山寺 三重塔 / 長野県上水内郡小川村
国難の様相
 国道19号線沿いにある信州新町から分岐し、急坂の峠道を越えると、眼下に小川村が見えて来る。いったん小川村に下りて、鬼無里に至る急な山道をさらに5kmほど登ると高山寺に至る。
 西暦、808年に坂上田村麿が観音堂を創建。1195年に源頼朝がそれを移転再建して三重塔を創建。その塔も江戸時代初期には倒壊寸前となり、1698年に木食山居上人によって再建された。七堂伽藍を備えた名刹で、信濃三十三番札所の結願札所として多くの参拝者が訪れる。今では山間僻地と思われるこの地で、鄙にも稀な立派な堂宇を目前にすると、何か不思議な感じがするが、江戸時代には大洞峠→鬼無里→戸隠→柏原を経由し、越後へと至る「戸隠道」と呼ばれた街道沿いにあり、坂上田村麻呂や平維盛もこの街道を利用したとのことである。
 訪れた日は、春の嵐が吹き荒れた翌日、湿った空気が山麓に漂う日であり、寺域全山、濃い霧に没していた。晴れていれば西方間近に北アルプス連山が眺められたはずではあったがいたしかたがない。塔の近くに、木食山居上人が「塔の再建」に際し、十万人講の勧進を請願した経緯が記された案内板があった。その碑文は、あたかも今日本が直面している「国難の様相」をかいま見るようであり、またその再生を想起させる文言に満ちていた。ちなみに木食山居上人(もくじきさんきょしょうにん)とは、江戸時代初期、この地方で活躍した修行僧であり、生涯粗衣粗食で通し、人々から親しまれた人であったという。
2011.4

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