訪れた日は、春の嵐が吹き荒れた翌日、湿った空気が山麓に漂う日であり、寺域全山、濃い霧に没していた。晴れていれば西方間近に北アルプス連山が眺められたはずではあったがいたしかたがない。塔の近くに、木食山居上人が「塔の再建」に際し、十万人講の勧進を請願した経緯が記された案内板があった。その碑文は、あたかも今日本が直面している「国難の様相」をかいま見るようであり、またその再生を想起させる文言に満ちていた。ちなみに木食山居上人(もくじきさんきょしょうにん)とは、江戸時代初期、この地方で活躍した修行僧であり、生涯粗衣粗食で通し、人々から親しまれた人であったという。
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