昨年訪れたこの神社を再び訪れたのは、この神社が掲げる祭祀の明るさに引かれてのことである。その明るさとは・・・身曾岐神社の身曾岐(みそぎ)とは「きれい」になることであり、古来日本人は何事も「きれい」「きたない」を考え方の根本に据え、西洋の「善悪思想」と異なり、たとえ仕事で失敗しても、大きな災難が降りかかっても、ある期間、しっかりとみそいで、真新しく「きれい」になれば、また新たな人生を踏み出せると考える・・・との前向きな姿勢に起因する。どこか親鸞が提唱した「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」という思想に通じているようにも思える。
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