かくしてたどり着いた「阿島の大藤」。その界隈には、昭和20〜30年代の風情が、閉じこめてあったかのごとく、そして涙がにじむがごとくに懐かしく、奇蹟のようにして存在していたのである。古びた行灯看板の枠は錆びてはいても、かって幼かった私が、父に連れられて行った、どこかの街角で、確かに目にしたものであった。遡る80余年前、昭和大恐慌の刻、未来の繁栄を願って、阿島の人々が植えた藤の木は、戦争をはさみ、その後たどった日本の紆余曲折の歴史とともに、かくなる大藤に成長したのであるが・・・気づけば、世相には、またもや平成大恐慌の兆しが、影のように漂っている。畢竟如何。かってあった「その刻」と同じように、新たな藤の木を植える「この刻」が、再びめぐってきたのである。
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