Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
信州つれづれ紀行 / 時空の旅
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阿島の大藤 / 長野県下伊那郡喬木村
今、再び
 長野県の南に位置する喬木村、阿島の大藤が咲いたとのテレビニュースに誘われて訪れたのであるが、場所がわからず村内をあちこちするうち、この村が児童文学者、椋鳩十の故郷であることを知った。小学校か中学校か、記憶がさだかではないが、国語の教科書で、この文学者を知ったのであるが、肝心の書かれた文章の内容のほうは忘れ果ててしまったが、名前の椋鳩十(むくはとじゅう)という音律は、その後ずっと脳裏に響いてのこっていたのである。椋鳩十が長野県の生まれであり、その地が喬木村であることは、その日、初めて知ったことである。
 6歳で阿島尋常高等小学校に入学した鳩十は、小学6年生のとき、担任の先生から借りた「ハイジ」の本を読んで感銘を受け、文学への道をめざしたという。南アルプスと中央アルプスを一望する「アルプスの丘公園」には、鳩十少年の心をとらえた「アルプスの少女ハイジ」との出会いを記した碑が立っており、碑文を読みながら、多感な少年時代に出逢う本が、その後の人生に、いかに決定的に影響するものかということに、今さらながら感嘆した。かく省みれば、児童文学が現代社会から遠ざかって久しい。今の時代にこそ、それは最も必要なものであり、その再興を願うのは私だけではあるまいと思うのだが・・・。
 かくしてたどり着いた「阿島の大藤」。その界隈には、昭和20〜30年代の風情が、閉じこめてあったかのごとく、そして涙がにじむがごとくに懐かしく、奇蹟のようにして存在していたのである。古びた行灯看板の枠は錆びてはいても、かって幼かった私が、父に連れられて行った、どこかの街角で、確かに目にしたものであった。遡る80余年前、昭和大恐慌の刻、未来の繁栄を願って、阿島の人々が植えた藤の木は、戦争をはさみ、その後たどった日本の紆余曲折の歴史とともに、かくなる大藤に成長したのであるが・・・気づけば、世相には、またもや平成大恐慌の兆しが、影のように漂っている。畢竟如何。かってあった「その刻」と同じように、新たな藤の木を植える「この刻」が、再びめぐってきたのである。
2010.5

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