Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
信州つれづれ紀行 / 時空の旅
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映画 「阿弥陀堂だより」 ロケ地にて / 長野県飯山市
贅沢な気分
 ここを訪れるのは2度目である。1度目は映画「阿弥陀堂だより」が劇場公開(2002年10月)されてしばらく後のことであるから 、もう6、7年も前になろうか・・・。そのときは季節も夏のことであり、碧空にわきあがった入道雲を背景に、山麓いったいは緑に装われ、訪れた観光客で賑わっていた。その後、どうなっているのかと訪れたのであるが、北信濃の山里はいまだ冬が過ぎ去ってはおらず、阿弥陀堂には雪囲いがなされ、堂の前庭は深い雪で敷き詰められていた。
 訪れる人が誰もいないロケ現場にひとりたたずむことは、その映画の世界をひとりじめしているような贅沢な気分にさせられる。あいにくの曇り空であったが、阿弥陀堂の前庭にカメラを据えてファインダーを覗いた私の耳に、堂の横を流れる小川のせせらぎが春の息吹を奏でるように快く響いてきた。それはまたこの堂の住人である「おうめ婆さん」のやさしい息づかいのようでもあった。雪融けした黒い地面から芽をだしたふきのとうは、採る人もいないとみえ、大きな花を咲かせている・・・北国の春はすぐそこまで来ているのである。
< おうめ婆さんの言葉 / 映画「阿弥陀堂だより」 より >
畑にはなんでも植えてあります。
ナス、キュウリ、トマト、カボチャ、スイカ・・・。
そのとき体が欲しがるものを好きなように食べてきました。
質素なものばかり食べていたのが長寿につながったとしたら、
それはお金がなかったからできたのです。貧乏はありがたいことです。
雪が降ると山と里 の境がなくなり、どこも白一色になります。
山の奥にあるご先祖様たちの住むあの世と、里のこの世の境がなくなって、
どちらがどちらだかわからなくなるのが冬です。
春、夏、秋、冬。
はっきりしていた山と里の境が少しずつ消えてゆき、一年がめぐります。
人の一生と同じなのだと、この歳にしてしみじみ気がつきました。
お盆になると亡くなった人たちが阿弥陀堂にたくさんやってきます。
迎え火を焚いてお迎えし、眠くなるまで話をします。
話しているうちに、自分がこの世の者なのか、あの世の者なのか分からなくなります。
もう少し若かった頃はこんなことはなかったのです。
恐くはありません。
夢のようで、このまま醒めなければいいと思ったりします。
2010.4

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