日本近代歌謡の草創期をまぎれもなく画した中山晋平は、明治20年3月22日、長野県下高井郡新野村(現在中野市大字新野)に生まれた。明治38年、ふるさとを後にして東京へ旅立ち。島村抱月の書生となり、東京音楽学校予科に入学。45年卒業し、大正3年に作曲し、松井須磨子が歌った「カチューシャの唄」が大ヒットした。やがて5歳年長の詩人・野口雨情と出会い、雨情の新しい童謡・民謡の創作に対する情熱に刺激を受け、大正10年にレコード化された「船頭小唄」や「波浮の港」を作曲することになる。昭和
27年12月すい臓炎のため永眠。逝年65歳であった。ちなみに松井須磨子は晋平が生まれた中野市から南にしばらく行った長野市松代町の生まれであり、島村抱月との愛に殉じたことは今でも記憶に新しい。そこに、晋平、抱月、須磨子をつなぐ不思議な「えにし」を感じるのは私だけであろうか。あまたの晋平の曲の中で、私が特に印象深いものは「あの町
この町」である。
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