Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
信州つれづれ紀行 / 時空の旅
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諏訪湖 / 長野県諏訪市
琵琶湖周航の歌
 「われは湖の子 さすらいの・・・」に始まる「琵琶湖周航の歌」を作詞した小口太郎は、明治30年生まれ、長野県岡谷市出身である。第三高等学校(現京都大学)に学び、のち東京帝国大学(現東京大学)に進む。三高在学中の大正6年6月28日、ボートで琵琶湖周航の途次、今津の宿で周航の歌の詞を仲間に披露した。「有線および無線多重電信電話法」の特許を取るなど、多才であったが、26歳で永眠した。作曲の吉田千秋は新潟県新津市出身であり、若くして肺結核を患い、小口同様、若干24歳でこの世を去っている。諏訪湖の湖岸には三高時代の若々しい小口太郎を刻んだ銅像が諏訪湖の湖面を望んで立っており、像の下のボタンを押すと「琵琶湖周航の歌」が流れる。かっての青年の情感の豊かさと早熟には驚かされるが、ともかくも彼らの思いは、今も色あせることなくこの世にとどまっていることは確かである。晩秋の湖を眺めているうちに、小口の詩のイメージの中には、生まれ育った「諏訪湖の風景」がきっとあったにちがいないとの確信に帰結した。
2008.10

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