川端はストックホルムへ出発する前から講演の草稿執筆に取りかかり、12月3日に羽田を発つ時点で半分ほど書き上げたが、講演当日12日早朝もまだ執筆中であり、宿泊ホテルの部屋を訪ねた石浜恒夫に「やっと調子が出始めたところですよ」と述べて落ち着きはらっていたという。そのため昼に同時通訳をしなければならないエドワード・G・サイデンステッカーは翻訳を短い時間で苦心し居合わせたコペンハーゲン大学の仏教学者、藤吉慈海の助言を受けながら事なきを得た。川端は3日間ほとんど徹夜で書き上げ「作家はこれぐらいの徹夜はできるもんだ」と言いその出来に満足し上機嫌だったという。
|