「糸魚川ジオパーク」はユネスコが支援する世界ジオパークネットワークの審査を経て2009年8月に国内初の認定を受けた「世界ジオパーク」である。新潟県糸魚川市は長野県白馬村を源流とする姫川が日本海に合流する海浜に位置する。そこはフォッサマグナの西端線を構成する「糸魚川静岡構造線」の北端である。 |
ジオパークのジオ(Geo)とは地球や大地を意味する。ジオサイトとはそれを体験できる場所のことで、糸魚川市内には24のジオサイトがあり、これらのジオサイトをめぐることで日本列島の形成や糸魚川の歴史文化を学ぶことができる。その日に訪れたのは北陸新幹線が開通してまもないJR糸魚川駅にほど近いジオサイトのひとつ「糸魚川海岸」であった。
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糸魚川海岸は「ヒスイ海岸」の愛称で親しまれている。姫川によって山から運ばれた砂礫は川の流れや海の波によって角が研磨され、どれも丸くなった形状でこの海岸に打ちあげられる。その中にはヒスイが混ざっていることもあるという。ヒスイ海岸に隣接する海望公園には糸魚川のシンボルである「奴奈川姫」の母子像が父である大国主尊を慕うように日本海を望んで立っている。
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古事記に登場する奴奈川姫はヒスイをめぐって出雲の大国主尊と結ばれ「建御名方命」をさずかったという。建御名方命は拙論「安曇古代史仮説/安曇野の点と線(出雲と安曇)」でとりあげた隠岐島で最期をとげた大国主尊の御子である。反骨の士であった御子は侵略者である馬の民族に何としても屈服せず諏訪大社に流罪になったとされている悲運の御子である。まさかこの御子が糸魚川の奴奈川姫との間に生まれた御子であったとはこの日に初めて知ったことである。奴奈川姫のその御子が姫川をさかのぼって諏訪大社の祭神になったのはいかなる経緯であったのか
・・ 大国主尊と奴奈川姫のロマンスをひもとくと古事記に次のような記述がある。
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大国主尊が越の国に奴奈川姫という賢く美しい姫がいるという噂を耳にして求婚するために越の国に訪ねてゆく。だが奴奈川姫はすぐには求婚に応じず、大国主尊に歌を贈ったりしたあと、ようようにして大国主尊の求婚を受け入れたという。建御名方命の反骨の気質はあるいは多く母親である奴奈川姫の血を継いだものであったのかもしれない。
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また奴奈川とは糸魚川のことであり、姫川の川名はこの奴奈川姫に由来するという。以前より白馬村から糸魚川市に向かって流れくだるこの川を何ゆえに姫川と呼ぶかには漠然たる疑問を抱いていたが、ようやくにしてその謎が氷解した思いである。
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さらに「日之本文書」によれば、高志王国(越国)の女王、奴奈川姫が大国主尊の出雲王国に嫁ぐことで、双子の妹の黒姫が高志王となり、白山姫が加賀の三輪氏に嫁いで白山王国の王女となった。これが日御子(卑弥呼)の流れにつながっていくという。姫川上流に位置する長野県小谷村から東に山を越えれば黒姫山が聳える黒姫高原に至る。この黒姫の地名もまた奴奈川姫伝説に由来するものであったと考えるのが妥当であろう。
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どうやら信濃と越後の国境にはいまだ隠された古代王国の謎が秘められているようである。それはまた安曇古代史仮説で描かれた出雲と安曇に引かれた点と線の記憶に重ねられ、想像の翼は時空を超えて古代ロマンの世界へと旅立っていくようである。
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