拠り所なき時代とは
・・ 拠り所、つまりは基準であるが、基準が失われれば「何でもあり」となることは自然の成り行きである。それを「価値観の多様化」と言ってしまえばそれまでであるが、波間に漂う木の葉舟ではどこに行き着くかはわからない。場合によっては座礁してしまいかねない。それでも「よいではないか」と言う人もいる。
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不確定性に支配された社会はついには倫理観からでさえ基準を奪おうとする。国民に向けては税金を払いなさいと督促するその国の首相や大統領が、自らは脱税していたり、遵法を声高に叫ぶ政治家が、自らは違法なことに手を染めるなど
・・ その様相の枚挙にはいとまがない。
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ではいったいこの世の中にある「確かさ」とは何なのか
?
それは思考を停止した中から生まれる「本能」であるか ?
だが人類は本能に支配されていた動物から脱皮した唯一の生きものであったはず
何ゆえに再び逆行しようとするか ?
人間は「考える葦」であるとしたその「存在意義」を放棄しようというのか ?
それとも「考えなくても生きていける」ほどに文明が進歩してしまった現在
「考えたくても考えることがない」のか ?
あるいは自ら考え出した「人工知能」にその存在意義さえも奪われてしまうのか ?
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あいまい量とも呼ばれるエントロピーは時間経過とともに増大、万物事象が不確定性に支配された「カオス」となっていくことは物理学が証明するところである。(熱力学第2法則)
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今起きている状況は理論通りではあるのだが
・・ 現実を目の当たりにすると内心穏やかではない。
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