2013年8月6日、「大きな間違い」(第749回)と題して私は以下のように書いている。
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アベノミクスを推進する安倍政権は今、経済の成長をトップにすえて、あらゆる努力をこの成長策に注ぎ込み、TPP交渉に、原発再稼働にと邁進している。だが日本の現状をつぶさに眺めれば、いたるところに傷を負って、惨状は目を覆うばかりである。
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東北大震災の復興は遅々として進まず、原発事故の復旧はめどがたたないばかりか、日増しに事態は悪化しているようにみえる。地球温暖化に端を発した猛暑と豪雨は列島各地にさらなる被害と被災者を生み続けている。この状態で東北大震災クラスの地震が、首都直下を、あるいは東海沖を襲ったら、その被害は日本国にとって、もはや立ち上がれないほどの致命傷となろう。経済の成長どころの話ではない。政府の成長政策の底流には、そのような「大震災は発生しない」とする不作為然とした暗黙の了解が横たわっている。それは原発事故は発生しないとして原発政策を推し進めた「安全神話の構図」と何ら変わるところはない。
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現下の日本において、経済が成長しなかった場合の被害と、かくなる大震災が発生した場合の被害を比較して考えてみたらいい。それでも経済の成長が優先だとすれば、それはもはや「命を賭けたギャンブル」を国民に強いるに等しい。命を賭けたギャンブルが政策たり得るかいなかは、国民の判断が分かれるところであろう。しかしてギャンブル政策を回避したいとするならば、かくなる「大震災が発生する」ことを前提にした政策に転換すべきである。
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私案として策の1例をあげれば「首都機能の地方分散」である。この政策はかかる災害時のリスクを分散させる目的だけでなく、情報化技術が発達した現在、国家の統御機能を1カ所に集中させる必要性が低下していることにも対応している。「地球温暖化」、「少子高齢化」、「地方の活性化」・・等々、あらゆる角度から衆知を結集して「日本の将来像」を思いが至る限り、存分に考えたらいい。アベノミクス政策のように矢継ぎ早に進める必要などまったくない。
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加えれば、これこそが「災い転じて福となす」という逆転の1手である。古来、国家の命運を拓くに用いられてきた「遷都」という伝家の宝刀がようようにして形を変えて現代に蘇るときがめぐってきたのである。
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先日、ようよう国も首都機能の移転に重い腰をあげるとの報道がささやかになされた。だがさまざまな政府機関官庁を地方へ移転分散させる計画案に対し、肝心の移転させられる官庁に勤務する職員が地方への赴任に抵抗を示しているというのである。
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首都、東京から地方への転勤は、やはり「都落ち」ということなのであろうが、国の本当の姿は直下の喧噪の渦中にいては何も見えない。 距離を隔てた地方から眺めてはじめて見えてくるものであろう。 叫ばれている地方創生の根幹もまたそこにある。
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