般若心経に「色即是空、空即是色」という言葉がある。色とは物のように形あるもの、つまり実在を意味する。これが即ち空、じつは何もない実在しないものであるとするのである。しかし、次ぎにこれを逆に打ち消す。空つまり何も無い実在しないと思うと即ちそこに色、形ある物の実在があるというのである。これが観自在菩薩が修行の先に到達した悟りであり、直感した認識であったというのである。般若心経を貫く精神は、ただただ、このひとつに集約できると言っても過言ではない。そして、それを左右するものは人間の心のこだわりであるとするのである。砂漠で道に迷った旅人は飢えと乾きの状態でさまよい歩く。このような時、夜の暗闇の中で水たまりを見つけた旅人は清水を飲むように、その水を飲む。一夜明けて、光の中で見た水たまりは、清水どころか、ボウフラが浮かぶ腐った水たまりであったのである。その時、もう旅人はその水を飲むことはできない。昨日は飲めて、今日は飲めない。水には変わりがないのであるが、そこに人間の認識が作用すると同じ水ではなくなるのである。人が人を恋するのも同じである。女性は世界に何億人といるのであるが、彼が恋したその女性はただの1人しか存在しない絶世の美女であるし、彼女が恋したその男性は、これまた1人しかこの世に存在しない勇敢な心やさしいヘラクレスなのである。しかし、恋の夢から醒めた彼や彼女は、それが幻滅の対象に変化する。彼や彼女の本質は変わってはいないのに彼らが心変わりをしたとたんに別の世界が現れるのである。あると思うと無い、無いと思うとある、という般若心経の世界はこのようなことを述べているのであろう。
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