さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。 人間は ・・ くり返すようだが
・・ 自然によって生かされてきた。 古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。 このことは、少しも誤っていないのである。 歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。 この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。 人間こそ、いちばんえらい存在だ。 という、思いあがった考えが頭をもたげた。 20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。 同時に、人間は決しておろかではない。 思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。 つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。 このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。 ある意味では平凡な事実にすぎないこのことを、20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。 20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。 おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。 「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている」と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。 この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。
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