もはや30年も前の話である。 当時、彼は歳の頃30前後、地方に位置する製造工場で使用される省力化装置を設計する技術者として可もなく不可もない日々を過ごしていた。
その工場に出入りしていた私は社員食堂の片隅でひとり食事する彼の姿をときおり見かけてはいた。 風貌はどちらかといえば斜にかまえ漫然たる世間に背を向けてしらけた風情を漂わせた内気な青年といったところであろうか。
|
その彼に大役が回ってきた。 後に直属の課長が話してくれたところによれば、経験を積んできた彼にはそろそろひとり立ちしてもらわなければと、彼には少々荷は重いが組立ラインの1ライン分全体を任せることにしたというのである。
|
それからというもの彼には昼夜を分かたない設計作業に没頭する日々が到来した。
3ヶ月が過ぎ、6ヶ月が過ぎても遅々として工程は進まない。 やがては計画した日程も過ぎてしまう。 彼はノイローゼ症状を呈しているとはそのときの課長の弁である。
|
ようやくにして仕事が終わったのは1年後のことであった。
|
以前のように社員食堂でひとり食事している彼を見つけた私は慰労の声をかけた。
そのとき彼が言った言葉はいまも鮮明に覚えている。 「仕事って ・・ やらなきゃ終わらないものですね ・・」 1年に渡る苦闘をやり終えた万感の思いがこめられていた。
|
おそらく彼は途中でありとあらゆる言い訳を考えたのではあるまいか。
病気になったら ・・ どこかへ遁走してしまったら ・・ 担当を外せと課長に頼んだら ・・・ 等々。 ありとあらゆる責任逃れに向けた口実を考え続けたに違いない。
しかし、彼はそのどれをも使わなかった。 そして行き着いた解決策が 「仕事はやらなければ終わらない」 という厳然たる事実だったのである。
事情を知らない人がこれを聞いたら、当然しごくのあたりまえのことであると言うであろう。 だが本当の意味を悟るとは 「ごくあたりまえのこと」
をかく深く理解することなのである。 小学校で聞いた先生の箴言を理解するのはずっと先、そうその小学生が年老いた頃なのである。
|
その後に催された彼のご苦労会でのことである。
普段は飲まない彼がしたたかに酔い、帰宅する電車内で眠ってしまい終着駅まで行ってしまった。 戻る電車はすでになく暗いホームのベンチで一夜を明かしたのだという。
「なんと馬鹿な奴だ」 と課長は笑った。 だが私には何ものにもかえがたく満ち足りた気分で満天の星を見上げている彼の姿が目に浮かんでくる。
そのとき横たわるベンチは寒くも痛くもなく羽毛のごとく柔らかかったであろう。
|
しばらくしてその工場を離れた私にはそれからの彼の消息は定かではない。
だがひとりの技術者として本分を全うしたであろうことだけは確かである。
|
|