その日、私は松本市街地のはずれにある馴染みのスナックのカウンター席で流れる時に身をゆだねていた。隣では地方の支店長であろうか、本社から配属されてきたのであろう新入社員と水割りを傾けている。今夜行われた歓迎会のあと、支店長に誘われて来店したのであろう。ほろ酔いかげんの支店長はカラオケに興じようとマイクを握った。目の前にあるモニターには五木ひろしの「千曲川」のイントロ映像が映っている。ご機嫌に見上げながら「この曲いいだろ〜」と言う。彼は「ああ千曲川(せんきょく川)ですか」とあっけらかんと相づちをうった。とたん支店長の表情は憮然としたものに変わり、眼なじりに私の気配を感じながら「千曲川(ちくま川)だ!」と嘆息混じりに呟いた。おそらく青年の世界には藤村の「千曲川旅情の歌」は存在しないのであろう。世代間格差といってしまえばそれまでであるのだが。気をとり直して歌う支店長の表情には「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ姿が・・暮れ行けば、淺間も見えず、歌哀し佐久の草笛の音色が・・千曲川いざよふ波の岸近き、宿にのぼりつ、濁り酒濁れる飲みて、草枕しばし慰む思いが・・」浮かんでいるようであった。
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