・・・・古来、一般探偵小説の情緒的基盤は、殺人はあばかれ正義が行われるという点にあった。その技術的基盤は、最後の大詰めをのぞいては比較的無意味にちかいという点にあった。大詰めへ導くための操作は多少とも過渡的作業であるを免れない。大詰めがすべてを正当化するのである・・・小説における技術的基盤は、よい場面を生みだすのがよいプロットであるという意味あいから、場面がプロットに優先する点にあるのだ。理想的な推理小説とは結末の部分がちぎれていても読みたくなるようなものだとされた・・・私がはじめてハリウッドの仕事に手を染めたとき、あるきわめて賢明なプロデューサーは、推理小説の映画化で大当たりをとることはできないと私に語った。すべての興味は映写時間にして僅か数秒にもみたない暴露場面にしばられるのだが、その頃には、観客は帽子に手をのばしているからというのである・・・・。
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