ブラジルワールドカップはドイツの優勝で幕となった。「強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ」とする評語は、この世の出来事を事前に予測することの難しさを述べている。出来事の発生にはさまざまな要素が複雑に絡み合っている。予測されなかったひとつの要素の出現で事態は大きく変わってしまう。
会社経営にしろ、国家運営にしても、ひととおりは未来を予測して計画を立案するのであるが、その通りに進捗する確率は考えている以上に低い。同様にひとりの人間がこの世を生きていく見通し、あるいはこれを人生設計と言うのであれば、かくなる人生設計が計画通りに進捗する確率もまた思っている以上に低い。人間到る処青山あり、波瀾万丈、一寸先は闇のごとくであって、何が起きるかわからない。すべては「瓢箪から駒」であり、「人間万事塞翁が馬」である。
それほどに低い確率にもかかわらず人はその見通しに困惑し振り回される。振り回されるのは事態が発生する未来であるよりも、今の今と言われる現在においてである。「備えあれば憂いなし」とは巷間よく言われる警句であるが、備えてばかりでは「大いなる徒労」に終わってしまうリスクもまた等分に存在する。
以上からすれば「強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ」という評語は言い得て妙の「反語」である。同様の反語ルーチンは「健康な者が長生きするのではない、長生きした者が健康なのだ」となり・・「優秀な者が成功するのではない、成功した者が優秀なのである」となり・・連鎖は限りなく継続する。だがこれは「思考のPairpole」であって、物事の相対性と相補性を述べたものである。
わかりやすく言えば、紙は裏と表があってはじめて「1枚の紙」として、この宇宙に「存在できる」ということである。
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