世はお願い事だらけである。右も左も「お願いします」のオンパレードである。謙譲の精神は日本古来からの美徳ではあるのだが・・。
状況を素直に考えれば、「お願いします」とは、物事の主導権はこちらにはなく、すべては相手の思いかた次第という従属的な立場を表明している礼句である。存在の価値から考えれば、相手が考える価値が価値の基準であって、こちらにはその基準がないという構図である。日本人はいつのまにか相手の意向だけを斟酌する集団になってしまったようである。
価値とは「必要性」から生まれる。斟酌すべきはこの必要性であって「相手の意向」ではない。もっとも相手の意向もまた最終的には必要性に則っていることには違いがないが、自の主体性を放棄した「お願いします」では、何の価値も生まれない。だが問題は、現代社会ではかくなる必要性そのものが喪失の危機に瀕していることである。がゆえに思考停止した「お願いします」しか、為すすべがないのだと、提起は再び冒頭へ回帰してしまう。
回避するためには、次なる「価値とは何か」という根本的命題を考え直さなければならないことになるが、それを可能にするのは自らに課せられた「主体性の回復」以外の他に道はない。
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