理化学研究所が発表した「STAP細胞」の論文が「改ざんされた」、「捏造された」で日本中が喧々諤々の騒ぎとなっている。世紀の発見とまで絶賛された研究が何ゆえにこのようなことになってしまったのであろう。
科学は「理論が先にありき」なのか・・それとも「現象が先にありき」なのか・・?
いうまでもなく「現象が先にありき」ということは、万人が認めるところであろう。だが時としてこの順位が逆転してしまう珍事が発生する。以下はかってとある機械工学分野の技術士から聞いた話である。
彼がアメリカで見てきた「パラレルメカニズム」という新技術について、某有名大学の機械工学科の某教授に話したところ、某教授は「あのメカニズムは理論的には動かない」、「もし動いていたとしたら動いていることが間違いだ」と断言したというのである。ウソのような本当の話である。
理論は現象を過不足なく妥当性をもって説明するために人為的に考え出されたものであって、考え出された理論によって現象が起きるわけではない。現象はいかなる人為からも隔絶しているのであって、科学がいかに混みいってきたからといって、この順位が逆転することはない。だが現場を離れ、机上の論理ばかりを弄んでいるうちに、起きるはずがないとした逆転が起きてしまうのである。
映画「踊る大捜査線」で、織田裕二演じる「はみだし刑事」が「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ!」と絶叫する名場面は、かくなる「逆転の様相」を簡潔明瞭に表現している。同様に「STAP現象は研究室で起きているのであって、会議室で起きているのではない」のである。
以上をふまえて今回の騒動を考えれば構図は明確である。つまり、事の順位はSTAP現象があっての論文であって、論文があってのSTAP現象ではない。論文は起きたSTAP現象を説明するものでしかない。よしんば完璧な論文が書かれたとしても、それをもってSTAP現象の存在が必ずしも証明されたわけではない。理研の調査報告は事を急ぐあまり、視野の狭窄に陥り、現象と論文の順位を逆転させてしまったのではあるまいか。だからといって小保方さんの研究姿勢や論文記述方法が容認されるものではないが、かくなる調査は「STAP現象が真に起きたのか」を含めて同時に行うべきであって、現象をさておいて論文の不手際をあれこれあげつらってみても結果は不毛に帰すのみである。
おそらくSTAP現象が真に起きたのかを調査するには長い時間を要すると思われるが、ことは「世紀の発見」なのであるから、その時間に少なすぎることはあっても、多すぎることは決してないのである。
問題となっているくだんの論文記述の不手際は、その結果をふまえて評価しても、いっこうに遅すぎることはないと思うのだが・・いかがであろう。