空海は隠された宇宙の真理に到達する方法を自ら発見して、その方法を信じた。彼が理解力に優れた頭脳を有していたことは疑いない。だが最も優れていたことは、明晰な理をもって突き詰めた結論を信じたところにある。
現代人は複雑なことを考えて理論化するが、その理論によって導き出された結論を信じているかどうかは疑わしい。信じている「ふり」をしているだけかもしれない。そのような結論が、人間にとって「何の意味」があり、宇宙にとって「何の意義」があるのかわからない。その構図を簡潔に表現すれば、「仏作って魂入れず」ということになろうが、魂の入っていない仏の意味や意義を、どのように問うことができるのであろう・・? 形骸化とはまさにかくなる状況をいうのであろう。
他方、空海の方法は世にくまなく普及し、1200年余を経た今もなお、四国八十八ヶ所の霊場をめぐる巡礼者の列はあとをたたない。