宇宙とは我々の周りに広がる万物事象の集合体である。その同じ万物事象を眺めながら、ある者は「明るく」思い、またある者は「暗く」思う。万物事象に是非がないとすれば、明暗を分けたものは、眺める者の「思い方」ということになる。思い方次第で、宇宙が明るくも暗くもなるとすれば、「この世は案外単純」ということになるが、そこには大きな陥穽がよこたわっている。
もし仮に暗く思ってしまった者が、明るく思えなくなってしまったらいかなることになるのか ・・?
どこかに思いを切りかえるスイッチでもあって、暗から明に、明から暗にと自在に切りかえることができればいいが、思いを選択できるリモコンなどどこにもない。あらゆる利便性に囲まれ、ボタンひとつで何事も思いどうりになる現代人にしても、心だけはそうはいかないのである。 おそらく外なる物質世界が繁栄すればするほど、内なる精神世界は衰退していくであろう。なぜなら精神世界の衰退の原因が、とりもなおさず物質世界の繁栄にあるからである。世相を騒がせている昨今のさまざまな出来事の裏には、かくなる二律背反のジレンマが隠されているのである。
以下の言葉は、シベリアでの長期抑留を経てようようにして帰国した、とある社長が年賀の辞で述べたものである。
「物で栄えて心で滅ぶような国にはなってほしくないものです」
白髪痩身、艱難辛苦を乗り越えた者のみがもつ静かな面立ちの老社長であった。おそらく老社長は「ボロは着てても心は錦」と薫陶されて育ったにちがいない。だが現代は「錦を着てても心はボロボロ」の状態である。
今最も必要とされるものはボロボロになってしまった心を温める温度調節器であろうが、その開発はそうたやすくはない。外なる物質世界の開発であれば「ハイテク」で何とかなるが、内なる精神世界の開発は原始以来の「ローテク」なのである。鍬と鋤をもって心の土壌を耕す以外に他に方法はないのである。
2014.03.06