ドン・キホーテの一分 |
スペインはラ・マンチャの老騎士が活躍する「ドン・キホーテの物語」は聖書の次に読まれている本であるという。1605年に前編が、1615年に後編が出版された。作者のセルバンテスは、あとのことはドン・キホーテに任せたというがごとくに1年後の1616年(満68歳)に没している。
私は児童文学に登場したドン・キホーテを幼き日に読んだ記憶があるが、文学としてのドン・キホーテをいまだ読んだことがない。なぜか読む機会が与えられないのである。物語があまりにも知られているせいかもしれない。だがよく考えてみると、風車に向かって突進するドン・キホーテの姿しか浮かんでこないようでは、あるいは知っているつもりだけなのかもしれない。
ともあれこの男がくりひろげる時代錯誤の物語にこれほどまでに惹かれるのはどうしたことであろう・・。私はその不可思議な魅力に敬意を込めて「ドン・キホーテの一分」という一語をあてたい。「武士の一分」というあの「一分」である。あるいはキホーテは騎士であるから「ラストサムライ」にならって「最後の騎士」という称号もふさわしいかもしれない。
いずれにしてもドン・キホーテが貫く「一分」は世間的には「どうでもいいようなもの」なのであろうが、人間的にはまったく「どうでもよくないもの」なのである。このアンビバレンツ(二律背反)は時代を越えて変わることがない。
やむにやまれぬ「その一分」を老骨に背負ったドン・キホーテは、永遠の従卒サンチョ・パンサを引きつれ、月光に照らされた荒野の街道を馬上静かに歩みを進めて行く。いったい何処に向かうのであろうか・・針金のようにやせ細ったその長いシルエットが影法師となって石畳に落ちている・・・。
かくして老騎士の誇りは少しも色あせることなく時空を超えて生き続けているのである。 |
2013.10.30 |
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