沈黙の王 |
情報化社会における言葉の過剰流通によって言葉の価値が低下することは、とりもなおさずその言葉で編集された文の価値もまた低下することである。価値なき文で綴られた「本」とはいったい何であろうか・・?
歴史作家、宮城谷昌光に「沈黙の王」という著作がある。「文字をつくった王」の話である。商(殷)王朝 21代の王、小乙には、子昭という子があったが、生まれながら言葉をしゃべることができなかった。小乙は言葉をしゃべれない子昭は、嗣子にふさわしくないとし、「汝は言葉をさがしにいかねばならぬ」と命じて追放してしまう。「言葉をさがす旅」に出た子昭は艱難辛苦の末、ついに人の言葉ではなく「象(かたち)を森羅万象から抽(ひ)き出す」天地の言葉、万世の後にも滅びぬ言葉である「文字」をつくりだしたのである。現在甲骨文字と呼ばれている中国最古の文字体系がそれである。小乙を継いで商王朝
22代の王位についた子昭は、高宗武丁(紀元前1250〜1192年)と称された。
万世に滅びぬとされた文字が 3000年以上の時空を隔てた情報化時代と呼ばれることここに至って、これほどまでに価値を減じて、変質してしまうなどということを、沈黙の王、子昭も想像だにしなかったことであろう。
温故知新。真実の文字に出会うためには、沈黙の世界から文字が生まれたごとく、再び沈黙の世界に回帰するしか他に手だてはないのであろうか・・・。 |
2013.08.17 |
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