心の漂流(1) |
現代情報社会はそれまでの「物」を主体とした社会から「心」を主体とした社会への移行を試みている。心は物と違って姿形なくとらえどころがない。漫然と放置すればあとでなく漂流してしまう。
1888年に発表されたジュール・ヴェルヌの冒険小説「十五少年漂流記」は、物としての少年たちが、漂流した無人島で力を合わせて生活していく物語である。だが現代の少年たちが体験する心の漂流は、現実から遊離したバーチャルなネット世界でのことであり、会話は「Twitter(ツイッター)」、繋がりは「LINE(ライン)」と呼ばれる電子ツールを使った「Web(ウェブ)」社会の中で進行する話である。
物としての船の漂流ならば、錨を投じれば防ぐことができるが、心の漂流となると、何が錨なのかさえも定かではない。そう考えると現代の少年たちは、果てしなく広く、底なしに深い、暗黒の大海原で寄る辺なく彷徨する漂流者のように思えてくる。さらには、この少年たちは地図や羅針盤さえも携えていないかもしれないのである。これほど過酷な漂流は他にない。 |
2013.08.03 |
|