飯が食えない |
人類は2つのツール(道具)を使用してきた。
ひとつは物的ツールであり、それは工作機であり、自動車であり、コンピュータであり、電話等々である。
他のひとつは知的ツールであり、それは思考基準であり、研究基準であり、編集基準等々である。
我々はこの2つの道具をさまざまに駆使しこのように発展した近代文明を築いたのである。しかし、ここで奇妙な状況に陥ってしまった。人間生活の物的なあらゆる利便性と効率性を達成した快適な環境に満たされた家に住んでいながらその家の主が給料が貰えず「飯が食えない」というのである。
飛行機や船や自動車でいかなる所へも行ける自由度を獲得しながら人間が生きていくに最も必要な飯が食えないとはいったいどうしたことか。こんな社会を実現するために我々はしゃにむに頑張って来たとでもいうのであろうか。これではまさに自分自身を処刑する断頭台を懸命に造って来たようなものである。
人間はかくこのように愚かな生き物なのであろうか・・?
そんなはずはなく、それは人類が刻んできた歴史が証明している。過去のいかなる時代においてもさまざまな難問が山積していたのであり、その状況に古今変わりがない。そのいずれの時代においても人類はそれらの難問がもたらす危機的状況を突破したからこそ今日があるのである。
現在の社会が遭遇している問題も整理をすれば、工業社会の発展により物的ツールの開発が極度に先行したのに対し、知的ツールの開発が立ち遅れているに過ぎない。この立ち遅れた知的ツールの発展が追いつけばこれらの問題はなんなく解決されることである。
しかし、「まあとにかく」という特有の暫定的知的ツールでやってきた日本社会にとって「いかにあるべき」という決定的知的ツールの開発促進は難問である。
では、この今後有効な知的ツールはいかにして創られるのであろうか。それは次の問いに答えることから始まる。
「いかに造るかではなく、何を創るのか?」
「いかに所有するかではなく、いかに運用するのか?」
これらの問いに答える思考の基準こそが知的ツールである。現在日本で広く流通するご都合主義的「まあとにかく」の基準では問題はなにも解決しない。人類にとって今、最も必要な道具は今までのような便利な物(物的ツール)ではなく、その物を生かす深い知恵(知的ツール)である。
そして、この2つの道具を縦横無尽に駆使し、人間にとって真に豊かな「生活を発展」させることこそ、万物の霊長と尊称される人類の真骨頂であろう。
(松本市民タイムス紙掲載
/ 1999.11.17)
◇ ◇ ◇
この稿を書いてから十数年経過したが、いまだに当時と社会の構造は変わってはおらず、有効な知的ツールが創られていない。確かに近年、急速に普及が進む「スマートフォン」などは知的ツールに近いが、人間にとって「真に豊かな生活」を発展させることにつながるのかは未だ不明である。期待されている安倍新政権の政策運営もまた「物的ツール」に偏ったものであり、「本当に飯が食えるのかどうか」は、未だ不明である。以下は「アイデアシステム」と銘打って企画した「新たな知的ツール創造」へのアプローチである。
アイデアシステム |
2013.02.15 |
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