考える葦 |
この世に意味を与えるのは人間なのであるから自らの意味の与え方でこの世はどうとでも変わる。この世が無意味に思えるのは自らが意味を与えていないからに他ならない。言うなれば頭脳が働いていない証拠であって、頭脳が怠慢に逸すれば世界から意味が消失するのは当然の帰結である。「我思うゆえに我あり」とは「自らが何かを思う」ことで、「誰かが思ったことの何かを知る」ことではない。したがってIT機器を使ってあらゆる情報を集めたとしてもこの世に意味を与えることはできない。「人間は考える葦である」とは葦自身が考えることであって、考えている葦の状況を考えることではない。いかに単純なこと、いかに些細なことであっても「自らが考えること」こそが、この世に重大な意味を与えるのである。 |
2012.8.29 |
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