世界の限界 |
世界はこう考えればこう見え、そう考えればそう見える。つまり、見える世界は考える世界である。従って考え方を変えれば見える世界が変わる。面白くない考えからは面白くない世界が、面白い考えからは面白い世界が見える。どうせなら面白い世界を見るべきであろう。
第 373回 「現象と心象の境界」で
哲学者、ウィトゲンシュタインの「主体は世界に属さない、それは世界の限界である・・私の見る世界の視野に、私自身の眼は含まれない・・私の眼はながめる世界の視野の限界に位置している・・・」という言葉を紹介した。これは以上のことを少し難しく表現しているだけで同じことを述べている。
「人間は考える葦である」とはフランスの思想家パスカルの言葉であるが、まさにこの世界を生きるにおいて、人は考えることにその大半を費やし、それによりこの世界の大半を生み出している。また「我思う、ゆえに我あり」とは同じフランスの哲学者デカルトの言葉である。 |
2011.11.02 |
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