言論は「ああでもない、こうでもない」といくら時間をかけても問題は生じない。だが、行動は「ああでもない、こうでもない」などと悠長に時間などかけてはいられない。
交差点の真ん中で「右に行こうか・・?、左にいこうか・・?」などと躊躇していたら事故になるは必定である。
言論に潔さがなく、行動に潔さがあるのは「このため」である。。
王陽明が説いた知行合一の「神髄」は、おそらく・・かかる「潔さ」を、言論に求めたところにある。