情報化時代とは「言葉や映像」で構築された「情報」という「意識的商品」の「大量消費時代」である。それは工業化時代がもたらした「物質的商品」の「大量消費構造」と何ら変わるものではない。
物質的商品の大量消費時代においては「物は使い捨て、消費は美徳である」とまで言われ、この大量消費構造で可能になった商品の拡大再生産が、工業社会の未曾有の発展をもたらしたのである。
物質的商品の大量消費構造は「バブル崩壊」と呼ばれる経済現象で終焉したが、その実相は、行き過ぎた物質的商品の飽和がもたらした「物の大量消費構造の破綻」であった。
そして社会は今、今度は情報という意識的商品を基にした「大量消費時代」に向かっているのである。
そこに展開される様相は物質的商品の大量消費時代が経過した状況とまったく同じものである。言葉や映像で構築される意識的な情報商品は、かっての物質的商品がそうであったように「規格化され」、「標準化され」、「画一化され」、大量生産されることで、情報商品の製造コストは急速に低下、かっての少量生産情報商品のようには大切に扱われなくなり、相対的に価値は低下する。
また物質的商品の大量消費時代が、めまぐるしい商品のモデルチェンジの継続であったように、情報商品もまた次々と開発され、その姿形はめまぐるしく変化していくことになる。
そしてついには言われることになるのであろう・・「情報は使い捨て、情報の消費は美徳である」と・・・。
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