では事の順位の逆転はいつから始まったのか・・?
私が技術者として出発したのは、石原裕次郎主演の映画、「黒部の太陽」が世間の話題をあつめていた頃であった。今をさかのぼる30数年前である。
今では考えられないであろうが、当時、技術者を目指す多くの若者が最も希望する職場は「現場」であった。
映画「黒部の太陽」は、北アルプスの黒部峡谷に壮大なダムを建設するため、建設資材運搬用の隧道(トンネル)を針木岳を貫いて苦難の末に開削するという、事実にもとづいた感動のドラマであった。
未曾有の工事は、途中幾度も「破砕帯」という出水をともなう断層に悩まされながらも技術者たちの不撓不屈の精神で艱難辛苦を乗り越え、ついには完成する。大学出の優秀な土木技術者、裕次郎は難関を突破する起死回生の新たな工法を考え出すにとどまらず、現場の最前線に立ち、意気消沈する作業員を叱咤激励、自らも削岩機を持ち、獅子奮迅の活躍をする。
私もそうであったが、当時技術者を目指す日本の若者は、誰もが裕次郎の姿に「理想の技術者像」を思い描いていたのである。
技術者になりたいとは、かくこのような「現場に立ちたい」という「憧れ」と、自らの力で自然に立ち向かい「不可能を可能にする」という「夢」のためであって、不思議であるが、給料や待遇には、ほとんどと言っていいほどに「無頓着」であった。
やがて高度経済成長と呼ばれる繁栄が日本に訪れるとともに、「ホワイトカラー」という言葉が流行する。ホワイトカラーとは、字面の通り、現場を離れ、白い「ワイシャツを着て」仕事をする人々を言う。分かり易く言えば、設計者や研究者のことである。ともなって現場で「作業服を着て」泥まみれで仕事をする人々は「ブルーカラー」と呼ばれた。
技術者を目指す日本の若者は、「現場」を希望するよりも、ホワイトカラー、つまり、「設計職」や「研究職」を望むようになり、やがて技術者としての地位も逆転、しだいに技術に対する「憧れ」や「夢」を語るよりも、給料や待遇が最大の関心事となっていった。
そして、時は巡り・・さらなる繁栄が達成されると、すべては「重役室の机上」で行われるようになり、「現場」はまったく見捨てられて、ついには「経済法則」が、「自然法則」を足下に見下すという、事の順位の「本末転倒」に至ったのである。
そう現在である・・・。
|