「去る者追わず、来る者拒まず」 かかる箴言は単なる「人生訓」ではなく、「時空の理」を述べている。
去る者とは「過去」であり、来る者とは「未来」である。
「覆水盆に戻らず」の例えのごとく、去りゆくものは「ただ見送るのみ」である。
「さよならだけが人生だ」の句を終生好んだ寺山修司の真意もまた、この理の必然にあったのではなかろうか・・・。