それは、今から10年程前、ちょうど今頃の季節、とある日曜日にさかのぼる。
その日、私はマラソン中継を観ていた。夏を過ぎても昼下がりの陽光は、その勢力を減じることなく室内に差し込み、テレビ画面の映像をすこぶる観にくくしていたのである。カーテンを閉めても一向にその効果なく、少々イライラしていた私の意識に「ある着想」がフト訪れた。その着想とはテレビ画面の周囲を何かで覆い隠し、外光を遮蔽したらどうかという「アイデア」である。
早速新聞紙を四角に切り抜き、台所から探してきた料理用の長い「はし」2本をテレビの上部にガムテープで固定、かかる新聞紙をその2本の「はし」に突き通して画面の周囲を遮蔽したのである・・・。
予想した通り、外光は新聞紙によって遮蔽され、四角にくりぬかれた窓からは鮮明な画像が眺められた。
「こと」はこれで終わりになるはずであった・・・だが、「こと」はそれから始まったのである。
「こと」の始まりとは、くだんの窓は、映像の鮮明度を改善しただけではなく、その映像から「リアリティ(現実感)」が現われたのである。映像のリアリティとは「映像の深度」であり、より分かりやすく言えば、「映像の奥行き」と「映像の広がり」が発生したのである。
その後、マラソンどころではなくなってしまった私は、新聞紙に施した切り抜き窓のサイズを大きくしたり、小さくしたり・・その新聞紙を前にしたり、後ろにしたりと、仕掛けの細工に没頭したのである。
その場に居合わせた、妻や子供たちが、突如として始まった私の珍奇な行動に、ほとほとあきれ果てて眺めていたことはもちろんのことであった。
その日の発見は、後日、さらに思考展開され、技術的整理を経たうえで、特許出願されることとなった・・・。
しかして歳月は流れ・・かかる出願はアメリカで特許権となり・・やがて中国で特許権となり・・・そして現在に至って、映像を取巻く環境はまさに様相を一変させたのである。
テレビ画面はブラウン管から、液晶に、プラズマに、と飛躍的進歩を遂げ、画質は鮮明に、基台は薄く、画面は大きく、価格は安くなった。「映像時代」の始まりである。
私が新聞紙と格闘した日の風景は、今や遙か遠くの世界へ没し去り、代わって、その日には考えもしなかった世界風景が到来したのである。
だが・・・ただひとつ確かに言えることがある。
それは、懐かしきその日の現実は、時空の彼方へ去ってしまったが、その日の出来事だけは、まぎれもなく「ひとつの開発」に昇華し、今日の現実に「しっかりと繋がった」という「事実」である。
※) 参照:「ビジョンウィンドウシステム」技術解説
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