もっと速く、もっと安くを要求しておいて、事故の発生のみを非難することは、論理が矛盾する。
もっと速く、もっと安くを要求しておいて、工事の欠陥のみを非難することは、論理が矛盾する。
交通の安全を求めるのであれば、もっと遅く、もっと高くを覚悟しなければならない。
完全な住宅を求めるのであれば、もっと遅く、もっと高くを覚悟しなければならない。
もっと速くても、もっと安くても、しっかりとした安全と完全を保証し、提供しなければならないのが社会倫理の規範ではあろうが・・もっと速く、もっと安くを過度に要求した上で、さらなる安全と完全を期待する我々の姿勢にも、責任がまったく無いわけではない・・。
かかる論理の矛盾をさておいて、声高に「安全を・・」、「完全を・・」と叫ぶ構図こそが「安全神話崩壊」の根本的原因ではなかろうか・・・?
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