謙信と信玄は好対照をなす「Pairpole」である。
「神」を信奉した謙信と「自然」を信奉した信玄。
「理想主義者」の謙信は「詩人」のようであり、「現実主義者」の信玄は「実業家」のようである。
川中島の激闘は、還元してみれば「神と自然の闘い」であり、「理想と現実の闘い」であると観ることができる。
しかして謙信は軍神、毘沙門天の化身として、理想を掲げ、詩人のように闘い、信玄は自然、風林火山の化身として、現実を掲げ、実業家のように闘ったのである。
両雄の闘いが激しさを加え、長きに渡っても決着がつかなかった原因は、かかる根元的な「Pairpole構図」にあったとすることができよう。
ゆえに、永禄4年(1561年)信濃善光寺平、八幡原で交わされた第4回の川中島決戦は、かくも劇的であり、またかくも詩的であったのである。
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