甲斐の武田信玄の宿敵は越後の上杉謙信であった。
両雄相並び立たず、両者は幾度となく軍を発し、激しい戦いを演じた。
甲斐の武田信玄の旗印が「風林火山」であったのに対し、越後の上杉謙信は北方の守護神(軍神)であった毘沙門天から採った「毘」をその旗印にあてた。そして謙信自らは「毘沙門天の化身」であると信じていたのである。
信仰心と正義感に溢れ、清廉潔白な人格であった謙信は、戦史上最も劇的と言われた「川中島の戦い」に出陣するにあたって、独り毘沙門堂にこもり戦勝を祈願した。
・・・今度こそ、極悪人、信玄を討たせたまえ・・信玄は信濃の平和を乱し、実父、武田信虎を追放して家督を奪い、その義弟、諏訪頼重を殺し、その娘をてごめにし、信濃守護、小笠原長時や、北信濃領主、村上義清らを追い、信濃の大半を我がものにした・・
罪なき多くの人々が彼の欲望のために不幸になり、死んでいった・・小笠原や村上らは、我を頼り、我は正義のために信玄と戦い始めたが、いまだに信玄を滅ぼすことができない・・正しき者は、救われなければならず、壊れた秩序は取り戻さなければならない・・どうか、我に力をお貸しください・・我が軍に大勝利を、そして大悪人信玄に、何とぞ天誅を・・・
現実(実戦)の万物事象を制する羅針盤として、毘沙門天の神通力に倣った謙信であってみれば、従軍した士卒は、謙信の一挙手一投足の中に、毘沙門天の風姿と神威を観たに違いない。
畢竟。謙信の強さとは、一個の人間が発する強さではなく、その人間が、神に昇華(化身)したところから発する強さであったということができる。
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