使用する言葉に力がなければ、その言葉で構築された文(文章)、さらにはその文章で構築された論(論理)等々は、身を飾る「装飾品」と何らかわるところがない。
装飾品をいかに付け替えてみても、「中身」がかわるわけではなく、そこから生まれるものは何もない。
言葉を使用して何かを創ろうとする者が、肉体を使用して何かを創ろうとする者と同等のポテンシャルであるためには、使用する言葉に力がなければならない。
それは肉体に力がなければ、何も動かすことができず、従って何も創れないことと同じである。
言葉が「この世の装飾品」となるか、はたまた「この世の駆動力」となるかは、秘められる力の可否によるのである。
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