身のまわりに存在するさまざまな物(物体)は、遙かな時間を経過した「結果」として、この世にかく「存在」している。
時間はその「物の周りを経過」してきたのであるから、物にはかかる時間が「浸透」し、「蓄積」されていることになる。
つまり、路傍の石ころには、その石ころがたどった数十億年という「時間が蓄積」されている。
一挙に思考飛躍すれば、「物とは、時間が形状化したモノ」と考えることができる。