現実世界は人が生きるうえでの「背景」であり、その背景は、時代(時間)と場所(空間)によって異なる。
しかし、だからといって、江戸時代の京都に「生きたかった」などというような背景を望んでみても詮無いことである。
人が生きる課題は「背景」にあるのではなく、その背景の中で演じられる「演劇(ドラマ)」にあるのであり、ドラマこそが、悠久な歴史空間を通じて、絶えることなく連綿と「興行」されてきたものである。
つまり、人が創造できるものは「ドラマ」であって、ドラマの「背景」ではない。
かって、長島監督が巨人軍の奇跡的な逆転優勝を画して「メイクドラマ」と叫んだのは、かかる「ドラマの創造」のことである。
|