現在は過去のように事象が固体化し「事件」となった時空間ではなく、事象は流動的で、事件は今まさに「製作されつつある」時空間である。
「過去は一切が変更不能」であり、「現在は一切が変更可能」である。
現在では、私はそれを行なうこともでき、行なわないこともできる・・また私はそこへ行くこともでき、行かないこともできる・・それらは私の自由意思でいかようにも変更可能である。
つまり、私はその「事件の製作に参加」できる。
過去に生きる者とは、製作が終了した「事件(作品)の鑑賞者」であり、現在に生きる者とは、製作が進行中の「事件(作品)の製作者」である。
製作者とは意志し、行動する者であり、鑑賞者とは観察し、分析する者である。
過去と決別し、現在に生きるとは、作品の製作者として事件に参加することであり、事件とは、映画「踊る大捜査線」の名セリフではないが、常に現在という流動的な「現場で起きている」のである。
従って、現在に生きる者は、かかる映画の主人公である「はみだし刑事」のごとく、事件の現場から逃避してはならず、また意志すること、行動することを、決して先延ばしにしてはならないのである。
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