過去は常に「浪漫的」である。
素晴らしい事々で構成された過去を持つ者であれば、変更不能な「確定した」素晴らしき過去世界に生きることは、何にもまして居心地がよく、また安心感に満たされた状態であろう。
だが過去と決別しなければ現在は喪失し、さらには未来は到来しない。
過去がいかなる魅惑のまなざしで誘惑してきても、決して乗ってはならないのである。
今は亡き寺山修司は「さよならだけが人生さ・・」とその詩中に記した。過去と決別できる者のみが現在を生きることができ、また現在を生きる者のみが過去と決別することができる。
起きてしまった変更不能な事々に執着し、なおかつ我田引水的な過去の創作などに貴重な人生時間の多くを費やすなどは「馬鹿げた浪費」以外の何ものでもない。
人は全身全霊をこめて断言しなければならない・・「過去よさらば」・・と。
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