たとえ、有史以来の先哲が構築した偉大な思想であっても、自分の家の雨漏りさえ止めることができないのであれば、かかる思想は単なるお飾りの無用の長物である。
自らを救済できない思想が、いったい「何を救済」できるのか・・?
この世において、「ねばならない」ことなどひとつとしてなく、すべては自身の意思で「いかようにもなる」ものである。
かかる自由意思こそが、自らを救済する「自己思想」を創造するための大地である。