以下は認識学改修に向けての私案である。
◇まず物質がこの世にたった1個しか存在しなかった場合
その1個の物質の周りに、空間と時間が存在することをいかなる方法をもって意味づけることが可能か・・? それは在るとも言えるし、また無いともいえる。つまり、意味づけすることができない。
◇次に物質をもう1個登場させて2個にした場合
2個の物質の相対的位置の位置間において突如として空間概念が発生し、2個の物質の相対的位置の位置変化において突如として時間概念が発生する。つまり、2個の物質によって構成された「構造によって空間が発生」し、2個の物質によって構成された「運動によって時間が発生」する。
さらに物質が3個、4個と数を増すごとに、かかる空間と時間は、次々と増殖的に発生していく。今まで発見されなかった宇宙の彼方に、星雲等(ある物質)が発見されれば、空間と時間はそこまで拡大する。また星雲等(ある物質)が発見されない宇宙の彼方では、空間や時間が在るとも言えるし、無いとも言え、意味づけできないことは前述した通りである。
つまり、「知らない宇宙は存在しない」ということである。
さらにアインシュタインの相対性理論によれば、物質の周りでは空間は変形し、時間は伸縮する。その変形と伸縮の大きさは、かかる物質の質量の大きさに比例し、質量が大きくなれば空間の変形は大きく、時間はゆっくり進むことになる。
つまり、太った人の周りでは、床が変形するにとどまらず、空間も変形し、時間もまたゆっくりと進むのである。
結局。宇宙を主体的に意味づけているものは「物質」であり、物質なきところ空間も時間もなく、しかして宇宙もない。
従って、物質と無関係に、巨大な容器としての空間が存在し、その空っぽの容器の中で永遠の過去から永遠の未来に向けて時が流れているとする現代認識学の一般概念は変更されてしかるべきである。いずれにしても、この巨大な容器や、永遠に流れる時そのものを、この世の誰も目にしたことなど、一度としてないのであるから・・。
依って、空間と時間は以下のように意味づけられる。
宇宙は物質によって発生し、空間と時間は「物質の付属物」であり、言うなれば「物質の自己表現(パフォーマンス)」である。
以上によれば、疑義を呈してはならぬとして遺棄されていた認識学の破綻点である「空間の果て(宇宙の果て)」と「時間の始まりと終わり」という2つの欠陥は解消され、これにより新たな時空間認識による新たな宇宙像(宇宙モデル)の構築が可能となる。
|