この宇宙は時空間と呼ばれ、時間と空間で構成され、時間は無限の過去から無限の未来に向かって流れ、空間は無限に大きな巨大な容器であると考えられている。
だがこの考えには致命的な欠陥が内在する。致命的な欠陥とは、この考えでは「時間の始まりと終わり」を、そしてまた「空間の果て(宇宙の果て)」を説明できないことである。
かかる2つの欠陥について疑義を呈することは、人類が有史以来、営々と築き上げてきた認識学のアキレス腱を殴打することであり、言うなれば認識学のタブーを侵犯することである。
考えることを基盤として体系化された認識学において、それ以上の疑義を呈してはならないとは何たる論理破綻であるか・・そしてまた、かように重大で基本的な課題の解明を棚上げにして構築された認識学とは・・いったい何を意味するのか・・・?
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