人々が日々、互いに競争し、互いに闘いに明け暮れる「大競争社会」が、現代における進歩した「経済的合理性(グローバルスタンダード)」であると言われる。
だが、その「大競争原理」は人類にとっての進歩などではなく、単に人口増大により発生した「生存競争」なのではあるまいか・・?
生物が、その増殖により自らの生命維持の限界を越えれば、互いに「共食い」を開始することは自然の摂理である。
自然の摂理ではあるが、万物の霊長としての人類が、他の生物と同じく「共食い」するのでは、誠に情けなく・・困るのである・・・。