宇宙のことは「天の配剤」に依り、社会のことは「人の配剤」に依る。
人はこの世の「自力本願」を信じるが、それは宇宙根源に存在する「絶対的本願」である「他力本願」の土台上で展開される「相対的本願」である。
縄文時代は天の配剤に依る絶対的本願(他力本願)に帰依する「愛を中核」として営まれた社会であり、弥生時代以降の社会は人の配剤に依る相対的本願(自力本願)に帰依する「知を中核」として営まれる社会である。
「愛は絶対的」であり、「知は相対的」である。
現代人の多くは人の配剤を基とした相対的な知をもってなる自力本願に傾斜し、天の配剤を基とした絶対的な愛をもってなる他力本願を省みない。
結局。「知」を得ることで「愛」を失ってしまったのである。
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