この世に何処からともなく「出来事」が訪れる。
その出来事が我々にとって都合がよかろうが悪かろうがそんなことには頓着せずに日々次々とこの世に訪れる。
出来事はあたかも何のことわりもなく、ふいに訪れる正体不明の「謎の訪問者」のようであり、我々はこの謎の訪問者の思わぬ諸行に、一喜一憂するとともにあたふたと振り回されるのである。
もとより訪れる出来事には何等の意図もなく、是非もないのであるから、この訪問者に不平不満をぶつけてみてもあまり意味があるとは思えない。
依って、信長は本能寺で遭遇した絶体絶命の出来事において「是非もない」とかかる訪問者を一蹴し、戦国武将の山中鹿之助は次々と身に訪れる艱難辛苦の出来事において「我に七難八苦を与えたまえ」とかかる訪問者を拒むことなくまっこう勝負を挑んだのである。
他方、現代人といえば、かかる訪問者に対し、上げ膳据え膳、平身低頭の饗応に終始するのみである・・・がしかし、いつまでも彼らの思うがままに自由勝手にさせていていいわけがない。
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