空海が思考煩悶の果てにたどりついた悟りとは、眼前に展開するこの世(現実世界)が「自分そのものであることの発見」ではなかったか・・?
彼がこの世のいたるところで「主体」でありえた秘密とは、まさにこのような宇宙構造理解にあったのではあるまいか・・?
もちろん、この世のすべては「相対性」であるから、眼前に展開するこの世を空海のごとく「自分そのもの」と考えるのではなく、一般的常識人が考えるごとく自身をこの世を構成する「ひとつの構成部品」としてみても何ら支障はない。
前者は「天動説的」なスタンス、後者は「地動説的」なスタンスである。
宗教裁判で「それでも地球は回っている」と断固、地動説を唱えたガリレオは偉大な科学者ではあるが、図らずも、その自らの地動説によって、その後の人類を、宇宙の単なる構成部品にしてしまったのである。
以降、我々はいまだ「宇宙の主体性」を取戻すには至っていない・・・。
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