人類は狩猟採集社会→農耕社会→工業社会を経て、現在、情報社会への移行を試みている。
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たどったそれまでの社会はすべて
「物質を基本」 とした社会であり、21世紀に至って初めて物質ではない情報という 「空気のようなもの」 を基本とする社会に入ろうとしているのである。
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前項の 「空間と物質」
で述べたごとく、物質でないものとは反物質であり、しかしてそれは空間である。
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以上から考えれば 「情報と空間は等価的」
である。 つまり、情報社会とは反物質的社会であり、それは言うなれば 「空間的社会」 と還元される。
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空間的社会などという表現では、いったい何を意味しているのか意味が不明であろうが、前項の例で考えれば、空間とは菱田春草が描こうとした物体の周りに漂う
「空気」 であり、下村観山が描こうとした人物が秘めた 「内面的人格」 であり、岸田劉生が描こうとした物体が内蔵する 「内面的美」
である。 より簡潔に言えば「雰囲気」である。
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つまり、情報社会とは空間的社会であり、それはまた
「雰囲気的社会」 である。
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現在の日本社会は工業社会から情報社会への時代転換にともなう世相の混乱に喘いでいる。
しかしてその脱出への対応策は 「構造改革」 であり、「リストラクチャリング」 である。
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だがこれらの対応策はいまだ物質的視点に立脚したものであり、構造改革とは物質の秩序配列の改革であり、リストラとは物質の足し算と引き算である。
これらの対応策は、いまだ菱田春草が、下村観山が、岸田劉生が 「物質を描こう」 としているに等しい。 大切なことは 「空間を描く」
ことであり、結果として空間の中から 「物質が現れる」 ようにすることである。
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物質の足し算と引き算であるリストラ策を実施しても、本当に必要な物質が残るのかどうかは保証の限りではない。
空間を創造することで結果として現れた物質こそが、真に必要不可欠な 「もの」 なのではなかろうか ・・?
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僕らは すべてを 死なせねばならない
なぜ? 理由もなく まじめに!
選ぶことなく 孤独でなく ・・・
しかし たうとう何かがのこるまで
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夭折した詩人、立原道造の詩の一節である。
空間を追求すること、空間を創造することの何たるかをよく描いている。 とうとうのこった 「何か」 こそ、この世における必要不可欠な
「もの」 なのであろう。
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我々は生きるにおいて、多くの
「もの(物質)」 を追求しすぎたのではなかろうか ・・?
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巷間口にする、こうあるべきである、こうでなくてはならぬ等々は、すべては物質の足し算と引き算であり、よくて物質の変形(デフォルメ)でしかない。
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しかして、かかる物質の足し算、引き算、変形
・・ 等々が功を奏さなければ、我々は落胆し、挫折し、後悔し、懺悔する。
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だがいったい何に対して落胆し、懺悔するというのであろうか
・・?
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物質のみに向けられた視点で、この世の必要不可欠を抽出することは不可能である。
なぜなら紙の表を創りだしているのは紙の裏であり、善の価値を保証しているのは悪の価値であり、物質を存在させている原因は物質ではない反物質(空間)の存在なのである。
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この世における真に必要不可欠な
「もの」 は、落胆や挫折や後悔や懺悔で描き出された空間の中から必然的に現れる。
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美しき女性は、彼女を装う豪華絢爛たる宝飾で創られるのではなく、彼女の周りに漂う美しい空気(空間)によって創られるのである。
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魅力的な女性とは 「たたずまい」
がいいのであり、魅力的な男性とは 「雰囲気(ムード)」 がいいのである。
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同様に、文豪は 「文字が書かれていない行間」
で文学を語り、大作曲家は 「音のない休止符」 で音楽を語り、名優は 「セリフなき演技」 で人生を語るのである。
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現代若者気質は 「言ってくれなければ解らない」
が仕事上のスタンスであり、「好きなら好きと言ってよ」 が恋愛上のスタンスである。
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だがしかし、言われない言葉を理解することが
「仕事の核心」 であり、好きと言わない心情を察することが 「恋愛の核心」 なのである。
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