人間が「いかに生きるのか」を追求すれば、やがては自己実現の価値観の創出に帰着するのであるが、その追求は孤独で遙かな旅路である。
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現代人が個で生きれずに集団に頼るのは、集団を信頼しているからではなく、生きるための「利便性」からである。 ゆえに、会社、団体、組合、政党、派閥、宗派、サークル、仲間
・・ 等々の個別集団は個が生きる上での利便性の目的から構築されているに過ぎない。
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このような個別集団の中で叫ばれる団結心、忠誠心、協調性
・・ 等々の倫理観は、その利便性目的が「保証される限り」という限定された倫理観である。 ゆえに、個に対する利便性目的が失われればかかる団結心、忠誠心、協調性
・・ 等々の便宜的倫理観はたちどころに紙屑のごとく捨てられる運命にある。
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現代個別集団の離合集散メカニズムの本質は、かかる利便性目的の保証にこそあるのであって、その保証が失われれば、裏切り、不実、偽善
・・ 等々、茶飯事として常態化することになる。
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このような現代社会の世相メカニズムに抗して人が「いかに生きるのか」を問い、追求することはまことに孤立無援、孤独で遙かな旅路を覚悟せざるを得ない。
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「滄海一漂鳥 山中一花樹」、作家、澤地久枝はこの対句を好んで書くという。
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紺青の大海原を一羽の鳥が漂い、山中奥深く人知れず一輪の花が閑寂として咲いている
・・ 他人に対するあまえから毅然として離脱し、頼るべきは唯一、己自身であるとする遙かな旅人の気宇壮大な気概が凛として伝わってくる。
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