俳人、松尾芭蕉の「奥の細道」の冒頭は・・・月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず・・・と始まる。
日々旅にして旅を住みかとした芭蕉をして、時間そのもが旅人のように思われたのであろうか・・?
人は時とともにやって来て、時とともに去って行く・・・。
宇宙は「時空」と呼ばれ、「時間」と「空間」のふたつの要素で構成された世界であるが、この構成要素である「時間」と「空間」の意味を正確に解明した人は、未だこの世にいない。
空間は時間を連れてやって来る・・・そして、時間は空間を連れて去って行く・・・。
「そのバスは8時にバス停に来るのではない、バス停に来た時に8時なのである」
この世の、あるべき事象は、あるべき時間(時)に、あるべき空間(場所)で、起きる。
まさに、時空は宇宙を漂泊する旅人であり、また百代の過客のようである。
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