絶対的主観が確立されなければ過去は参考にならず、また未知なる未来も想像することはできない。
かかる絶対的主体性の本質とは、全体である「皆」がしても、個である「私」はしないことであり、個である「私」のすることを全体である「皆」に強制しないことである。
ニーチェが提示した「超人」の人物像とは、このような絶対的主観を確立した人間像のことであり、また彼が言う「力への意志」とは、その絶対的主観を確立する力を「渇望する意志」のことであろう。
であれば、「超人への希求」と「力への意志」こそが、現実世界を形作っている「基本的エネルギ」であり、可もなく不可もなく生きる「末人」に陥ろうとする現代現実世界に生きる個である人間が、かかる状況から脱皮する唯一の道ではあるまいか・・?
ニーチェの提示する超人とは・・世の倫理観にむやみに従うことをしない・・自己存在の力を確信し・・姿形は誇りに満ちた貴族のごとくである・・みじめさという概念を持たず哀れみを嫌い・・妥協せず中庸を求めない・・枝葉末節にこだわらず大きく展開し・・可能性に賭け・・堂々として静かであり・・あわてることなくすべてを裁断し・・しかして、強大な意志力をもつ。
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